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書道・アジア

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2007年 11月 04日

漢書「百花繚乱」

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韓国画仙 雪心 21cm×21cm
唐筆 東方紅(武林邵芝巖)
和墨 書芸呉竹(呉竹精昇堂)
石泉印泥
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百花繚乱

昨日・今日と、母校は学園祭だった。
あいにく両日とも仕事のため、行くことができなかった。
書道部では今年も立派な展覧会が開かれていたことだろう。
学生たちの全力を尽くした作品が、会場を華やかに彩っていたに違いない。

# by beize | 2007-11-04 22:35 |
2007年 11月 02日

「留恋処」

「留恋処」_a0094543_417194.jpg

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中国画仙 老灰紙 21cm×22cm
唐筆 東方紅(武林邵芝巖)
和墨 玉品(墨運堂)
石泉印泥
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留恋の処 (名残惜しい場所・恋しい所)

10/28 父と牛久沼にワカサギ釣りへ行った。
釣果は2時間ほどで20匹。
釣ったワカサギは晩の食卓へ。

夕方のおだやかな景色の中、父と子供のときのような時間を過ごせたことが何よりうれしかった。

勝手気ままに生きている今と、親の庇護の下にいた子供の頃と、どちらが幸せだったのか、ふと考えた。

# by beize | 2007-11-02 04:30 |
2007年 10月 26日

荘子「蜩翼之知」

荘子「蜩翼之知」_a0094543_2423046.jpg

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和紙 金銀砂子 24cm×21cm
唐筆 無銘羊毛長鋒(上海周虎臣)
和墨 玉品(墨運堂)
石泉印泥
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蜩翼をのみ之れを知る。 (蝉取りは蝉のはねしか目に入らない。)

心を専らにするたとえ。
せむしの男がさおで蝉をとっていた。
それが百発百中なので、訳を聞くと、こう答えた。
「蝉をとるときには、世の中の他の事は全て忘れている。天地の大、万物の多きも眼中にはない。
ただ蝉のはねのことだけを考えている。」

この男は仕事として蝉のはねに専心していて、別に楽しく蝉をとっていたわけではないかもしれない。
自分から積極的に蝉取りの道を選んだわけではないかもしれないし、もしかしたら、その仕事がすきではなかったかもしれない。
それでも何かに専心する瞬間があることは素晴らしい事だと思う。

ちなみに、とった蝉はおいしくいただいたのだろう。
そのへんは全くうらやましくない。

# by beize | 2007-10-26 02:56 |
2007年 10月 25日

陶淵明「抱樸含真」

陶淵明「抱樸含真」_a0094543_210045.jpg

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和紙 金銀砂子 22cm×31cm
唐筆 東方紅(武林邵芝巖)
唐墨 酔墨淋漓(曹素功)
石泉印泥
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樸を抱き、真を含む。 (純真素朴な心をもつ)

陶淵明の四言詩「勧農」のなかの言葉。

教え子の一人が、習い事の水泳が忙しく、遊ぶ日は二ヶ月に一遍だ、という。
学校から帰るとすぐに水泳の練習があり、くたくたになって帰ってきたら、宿題をやって床につく。
土・日は朝練と午後練。水泳がない日は塾。
たしかに小学4年生にはハードすぎる。
友達と遊ぶ暇がないとは、なんとも気の毒なことだ。
そう思いながら、ふと思い当たることがあり、きいた。
水泳と遊びはどちらが好きか。
その子は目を輝かせながら「水泳!」と答えた。

気の毒なことなど何もなかったのだ。
他の子たちが遊びに夢中になるように、その子は水泳に夢中になっているのだ。
ひたむきに水泳に取り組むその子の日々は、遊ぶ時間がなかろうとも、この上なく充実したものに違いない。
そんな姿が心底羨ましかった。

# by beize | 2007-10-25 02:25 |
2007年 10月 23日

論語・為政第二「耳順」

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和紙 金銀砂子 12cm×23cm
唐筆 無銘羊毛長鋒(上海周虎臣)
唐墨 酔墨淋漓(曹素功)
石泉印泥
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吾れ十有五にして学に志す。 (私は十五歳で学問に志し、)
三十にして立つ。 (三十歳になって独立した立場を持ち、)
四十にして惑わず。 (四十歳になってあれこれと迷わず)
五十にして天命を知る。 (五十歳になって天命をわきまえ)
六十にして耳順がう。 (六十歳になって人のことばを素直に聞けるようになり、)
七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず。 (七十歳になると思うままにふるまっても道を外れないようになった。)

論語のことば。
「耳順」は60歳の異称。

父が還暦を迎える。
今週末に皆でお祝いをすることになった。

子供の頃、父と遊んでもらい楽しかったことを思い出す。
夏休みのある日、父がザリガニ釣りに連れて行ってくれるといった。
道具らしい道具は何も持たず、スルメと糸と鋸だけもって出かけた。
途中、その辺に生えている竹を切って釣竿に。
竿の先に糸を結んで、スルメを結わえ付ければ立派な釣り道具に。
日が暮れるまで、山ほどザリガニを釣って帰った。
こんな遊びを知っているお父さんは、すげえなあ、と心底思った。

強烈な日差しの中、父にザリガニの習性や釣り方のコツを教わりながら過ごした時間は本当に楽しかった。
ありあわせの道具で、あれだけ子供を喜ばせた父は本当にすごい、といまさら気づく。
あのような夏のひと時をまたすごしてみたい。

意地っ張りな人なので、六十になろうとも耳順がうとも思えないが、ちょっとした皮肉を込めて書いた。
全然素直じゃないんだよなぁ、でも素直な父なんか見たくない気も・・・とか思いつつ。

# by beize | 2007-10-23 19:40 |