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書道・アジア

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2007年 10月 13日

蛍狩り

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10/8 サムットソンクラン県アンパワー郡にて

ダムヌンサドゥアク水上マーケットから、バスに乗ってアンパワーへ。
運河の両岸に民家や民宿・商店が建ち並び、静かでのんびりとした風景が広がる。
食器を洗う人、石鹸で体をこすり水浴びをする人がみられ、運河が生活の重要な一部であることがよくわかる。
ホタル観賞ボートを出している民宿にて、水際の風景を眺めながら夕食を食べ、暗くなるのを待つ。
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水浴びをする人を見ながら知人は言う。
子供の頃、よく川で遊んだ。
田舎の川は、ここよりもっと広くって、自分は川の端から端まで泳げたんだ。
自分はこんな場所が本当にすきなんだ。

ちょっとだけ、といいながら知人は川に足を浸し、本当に楽しそうに笑っていた。
僕は、川の水の色や蛭の存在に気後れして、水に入ることができなかった。

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タイのホタルは言うほど美しいものではなかった。
多数のホタルが黄色い光を一斉に明滅させるため、豆電球の明かりのようにしか見えなかった。
チンチョウ(ヤモリ)のほうがよほどきれいだ、と感じつつ、バンコクへ帰る。

ホタルの光の情けなさは残念だったが、1日ゆったりとした時間の流れに身を浸せたことが本当にうれしかった。
ただ、水遊びをためらったことが、蛍の光よりも悔やまれる。

知人はあの時、子供の頃の原風景にたちかえっていたのではないか
バンコクのような騒がしい街での暮らしは、案外大変なのではないか
本当に懐かしそうな表情をしていた知人と、一緒に水辺で戯れることで、少しでもその時間を引き延ばし、少しでも原風景を鮮明にすることができたのではないか
水に入らない僕を気にかけて、知人はすぐに水から上がらざるを得なかったのではないか

日本人としての変な衛生観念などにとらわれるべきではなかったのだ。
責任のない通過者の考えるべきことではないかもしれないが、只だ、悔やまれてならない。

# by beize | 2007-10-13 02:47 | アジア
2007年 10月 12日

寄り道

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10/8 サムットソンクラーン県へホタルを見に行く途中、観光地として有名なダムヌンサドゥアク水上マーケットに寄る。
タイでの買い物にも、観光客向けの似非マーケットにも興味はなかったが、せっかく近くへ来たのだから、面白いのだから、との一言で半ば無理やり連れて行かれた。
平日の午後のマーケットは、観光客も船の店舗も全く見えず、閑散としていた。
手漕ぎボートを漕いでもらい、ゆっくり集落を一周する。

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活気のないマーケットに連れて来てしまった事を、知人はしきりに気にしていたが、気に病むことはないのだ。
マハーチャイ線の列車の窓からのぬるい風も、手漕ぎボートでのゆったりとしたひと時も、集落の人々の素の生活を見れたことも、僕にはかえって心地よく感じられたのだから。

# by beize | 2007-10-12 01:05 | アジア
2007年 10月 11日

功徳を贖う

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10/7 夕食後、チットロムにて

何処でもいいから賑やかなところへ行きたい、知人にそう伝え、チットロムへ。
ゲイソン・エラワンバンコクなど、高級デパートが建ち並ぶバンコク一のショッピングエリアで、一番賑わっていたのはエラワン祠。
この国の人々の、自己への投資の形を垣間見る。
僕にはこのような投資はできないが、功徳を贖う人々に紛れ込み、何故だかほっとする。

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優しく、ルーズで、享楽的な人々の中に仏性を感じてしまうのだ。

# by beize | 2007-10-11 02:27 | アジア
2007年 10月 05日

詩経・衛風「碩人」

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中国画仙 老灰紙 76cm×20cm
唐筆 東方紅(武林邵芝巖)
和墨 書芸呉竹(呉竹精昇堂)
光明印泥
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膚は凝れる脂の如し (肌はかたまった脂のようだ)

使用書具のページ「印」のトップに貼った画像。
詩経「碩人」のなかの、美人の容貌を褒め称えた有名な言葉。
後世の詩人達が「凝脂(かたまった脂のような肌)」「美目盼(パッチリとした目)」「蛾眉(細く美しい眉)」など、
この詩の言葉をよく引用している。
印材のうすく透き通って、なめらかな様子は「凝脂」つまり美人の肌に似て艶かしい、と思い書いた。
脂がかたまったよう、とはよく喩えたものだ。
たしかにその通りだ、昔の人も好きだったんだなあ、とおもいつつ。

# by beize | 2007-10-05 03:03 |
2007年 10月 02日

蔡邕 筆論 「書者散」

蔡邕 筆論 「書者散」_a0094543_23078.jpg

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中国画仙 老灰紙 58cm×16cm
唐筆 東方紅(武林邵芝巖)
和墨 書芸呉竹(呉竹精昇堂)
光明印泥
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書は散なり (書とは懐抱を散ずるものである)

「使用書具」のページの筆・墨・硯・印の各項目のトップに横作品を貼ることにした。
今できているものは、メインページの「不舎昼夜」篆書と、墨のページの「墨摩人」篆書、筆のページの「書者散」隷書の三つ。
字を書くための書斎を持ってはいないが、web上に仮想の書斎を作ることもたのしい。

「書とは自分の中に在る想いを表現すること」という言葉だが、別に悲しい想いを悲しそうな字で、怒りを怒ったような字で書かなければいけない、という無茶な意味ではない。
胸の中の想いを言葉に託して、他人には絶対に見ることができない、自身の頭の中にある字のイメージを、書具を使って現実世界に書き留めることが書だと解釈している。
口では本心など言えないが、筆の先から本心を出すことならできる。
技術不足で100%ではないものの。

# by beize | 2007-10-02 23:47 |